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2011年8月13日 (土)

五十嵐川(2)

(1)から半月も経過してますけど。あのときは結局五十嵐川より、信濃川周辺の被害がひどかったですね。親父曰く、実家は避難勧告で留守にしていたわけではなく、避難を誘導する立場として町内を駆け回っていたとのこと。

私が卒業した小学校の校歌の1番は、「五十嵐川の流れ来て~信濃の川に入(い)るところ~ そ~こに開きし三条の~ 語る歴史に光あり~」・・・というわけで、まさに川の合流点に近い土地柄です。

私が在学中に、「五十嵐太鼓」という楽曲が出来上がりました。↓を見ると、ちゃんと継承されているようです。

http://www.city.sanjo.niigata.jp/sansyo/

なお、「金物太鼓」というのはその数年前に作曲された楽曲でして、これも風雪など自然との闘い→商工業による繁栄を描いた大作です。

三条市が金物、刃物、工具などで有数の地位を獲得するに至ったきっかけは、「大河」の気紛れに左右される農業の「リスクヘッジ」として、和釘(わくぎ)を副業として作り始めたことにあります。私が小学生の途中まで、「鍛治町」や「古城町」といった粋な町名が残っていました。

写真を見ると太鼓のフォーメーションが当時と変わっているので、確定はできませんが、左が金物太鼓、右が五十嵐太鼓の風景だと思います。五十嵐太鼓では、4つの太鼓を高い櫓に載せてちょうど顔の前で叩くようにし、途中から2つずつ向き合わせて跳ぶように叩いていましたが、それはもうやめたのかな・・・ 太鼓が重くて、2人がかりで載せるのが厄介でした。

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