先日、私の大学院の講義をとっている唯一の学生と、講義中にちょっと脇道に入って、修士論文の執筆計画について話し合う機会がありました。私はその学生の指導教官ではないので(そもそもまだ演習担当の資格をもっていませんが)、あくまで私が修士論文を書いた頃の経験をもとに、あれこれ議論しました。
結果として・・・ これは話にならないなぁ・・・と、お互いが認識し合うことで終わりました。なぜそういうことになったのかは、よくわかっています。
まず、初期条件としてのそれぞれの立場が違うのです。研究者を目指している(いた)か否か、自分が所属する(した)大学院のレベルの程度、昔と今の違い?、などなど。。
でも、お互いに立場が違うのは当然のことであって、それをどうすることもできません。できることは、目標(例えば修士論文のテーマ)を定めたら、それに向かってがむしゃらに、メシもそこそこに突っ走ることです(もちろん、学生が)。
しかし、それだけでは論文なんて書けません。明らかに「ムダ」な勉強が必要なのです。
テーマの核を成す専門論文は当然として、その周辺の論文も、さらには教科書レベルの本や一般向けの本、ニュース、法律など、さまざまな種類の活字を片っ端から読み漁って、知識だけではなく論文の流儀、背景を成す教養を学ばなければなりません。「これだけやっておけばOK」などという王道を、期待する方がどうかしています。目標を持ちつつも、ブルドーザーのごとく周りも根こそぎ。
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私が院生だった頃、特に集中しているときは、次のような日常を過ごしていました。誰かに教えられたことは一切無い、自己流の勉強法です。
毎日図書館の書庫の中で、端末の検索で見つけた論文や、前に読んだ論文のリファンレンスに載っていた論文をありったけ探してコピーし(無ければ学外に頼む)、その論文リストをワープロで作って印刷しファイルに綴じる。それをときどき眺める。論文の最初のページの上には、誌名、巻数、年、ページ範囲を、でっかくペンで書いておく。
で、すぐに目を通して・・・
→これは重要であると思ったら、数式の細かい展開まで自分で追う(わからないときは「?」を付けておいて後日)、重要な箇所は線を引く、気づいたことや疑問点を本文の横に書き殴る、一通り読み終わったら、論文の要点・核となる数式・自分なりに浮かんだアイディアなどを、あらためて紙に書き出すかワープロで清書する。それを論文に挟んでおく。そうすれば、記録としても記憶としてもしっかり残る。
→これは重要ではないと思ったら、そう見切りつつも、大事にストックしておく。絶対に捨てない。いつかまた眺めるときが来る。
論文の整理には、クリアファイルを惜しみなく使う。同じような論文&メモを、なるべく1ファイルに納める。で、積んでおく。簡易ボックスも便利だけど、中身が少ないと紙が反るし、そこから探し出すのが意外に面倒なので、結局放置&色褪せていくのが運命。
・・・という感じです。お勧めしません。お金と時間の浪費はおろか、人を寄せ付けない雰囲気で人間関係を壊しますのでw
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私がその学生と話をして、これは・・・ と思ったのは、次の3点です。
①専門論文をほとんど読んでいない。それ以前に、論文の探し方がまったくわかっていない。なんでもかんでも上から降ってくるわけではないんですけど。
②上の帰結として、過去の一連の研究成果を知らない。「そのテーマ、30年前に一般化されてもう終わっているんだけど・・・」と正論を言ってみてもムダ。
③論文の「字数」を異様に気にする。内容なんて二の次らしい。私はむしろ、○万字以上なんていう規定が修士論文にあることに衝撃を受けましたが・・・
まぁ、これからなんですけど。どんなものを書くにしても、このままでは努力が致命的に足りません。いまどきの大学院生、寝食忘れて勉強に没頭するのはダサいのですかね。。
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