あれ・・・? 三条新聞の記事(の見出し)、2日くらいでもう流されて消えてしまったようです。バックナンバーはないのかな?
先日の、私のそろばんの先生の訃報の件ですけど。
実家から、一昨日(4/23)の新聞の現物が送られてきました。見出しとリード文は上記サイトで読めましたが、現物を見ると扱いが大きいですねぇ・・・ 7面の、実に半分が先生の記事です。我が故郷において、いかに偉大な人物であったかが思い知らされます。
↓見出しも何重ですかね?
「珠算教育と書道に生きた58年の生涯」「全国珠算教育連盟県支部長・書壇院評議員 半間清(繋舟)さんがんに倒れる」「高校卒業して珠算学校の“先生”に」「名札や書状書きに書道」「先輩の瑞雲さんと夜遅くまで」「2月27日夜大作仕上げて」
生前のお写真も2点。うん、たしかに私の先生だ。目の辺りがやつれている点を除けば、私が高校生だった20年前の記憶の出で立ちと、ほとんど変わりません。
いま記事を読んで、初めて知ったこともいくつかあります。長くなるので、そのうち一つだけ、意外?にも書道関係で。
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上の見出し中の「(書家の佐藤)瑞雲さん」は、実は、私が小学4年くらいから6年くらいまで(記憶が本当に曖昧です)の書道の先生です。
世を忍ぶ?仮の姿はハンコ屋さんなのですが、週に2回、(今もたしか存在する)東忠という食料品店の2階で、子ども向けの教室を開いていました。階段下の洗濯機の意味が気になりましたがw
瑞雲先生にやはり別の場所で書道を習っていた私の母に連れられて、そのなんとも言えない雰囲気&臭いの漂う教室に初めて来たとき、なぜか「半間先生はいないの?」と私が訊いたそうです。
・・・まったく記憶ないんですけどね。でも、先ほど母が電話でそう言い張っていたので、歴史上確かな事実のようです。へぇ・・・ ?w
それはいいとして。訃報記事で初めて知ったことは、瑞雲先生と半間先生が同じ高校の1年違いの先輩・後輩関係であったことです。密接な関係だったことは当時なんとなく感じてはいましたが、お互いに21歳、20歳のときから瑞雲先生の部屋で夜遅くまで練習に励み、8年後の書壇院展で奨励賞を受賞して院友になり、・・・ という経緯は、恥ずかしながら今知りました。
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そんな故郷を代表する書家に指導を仰ぎつつも、私が書く字はお粗末で、習字の影響がまったくありません。2級まではいったようですが(人ごと)、珠算と違って書道には明確な試験がなかったので、上達しているという手応えがありませんでした。結局、そろばんの練習が週6日になったこともあり、習字からは自然に撤退しました。。
数ある私の挫折の、初期の例です。毎年、年賀状に筆ペンを使う時期になって、いつも悔やんでいます。あのとき真面目に取り組んでいれば・・・ と。
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